やっぱり活字というのは、何がしかを得られるいいツールだと思います。
昨今はやれYouTubeだの、SNSだのと言いますが、活字を読むと脳ミソで想像しながら読むので、アタマに残るのもあり、また解釈自体も単純にならずに済むので、結構深い考え方や見方ができるような気がするのですね。
で、今日も読んでた雑誌で、「昨今の若者は、社会人になりたくない、ずっと学生がいい、或いは未成年のままがいい、などと言う」というのがありました。まあこんなのは私らが未成年の時も言うてるやつがいましたがね、今はもっと多いそうです。
これ、要は今の大人が若者に夢を与えてないというか、将来を明るく見せてないんじゃないか、とも取れるんですよね。
いつも忙しそうにして眉間にしわを寄せて、何か言えば文句や小言やグチ言うし、そしてため息。こんな大人をずっと見てたら、そりゃあこういう風になりたいなんて思うはずないじゃないですか、ねぇ。
色々な塾生やその保護者、我が社会人クラブチームの若い選手などを見てて思うのですが、「早く大人になりたい」とか「こういう大人になりたい」とか、「早く社会に出て活躍したい」とか、いったい私はそういう風に思わせているだろうか、いや、思って貰えてるだろうか…と。
もし子供がそう思えてるなら、学ぶという事を嫌がる事はないんじゃないか、むしろ大人になって早く社会貢献したいとなりゃあ、学びたいと強く思ってくれるんじゃあないか?なんて思うのです。
大人になりたくない、勉強をしたくない、なんて思わせてるのは、ひとへに我々大人なのではないだろうか。
むしろそれらは難行苦行ではない、とっても楽しくて将来に希望を持てるものだ、と、少しでも思わせてあげられないだろうか。
これって、いまの時代を背負っている「大人の責任」なのではないかと思うのです。
たかがいち塾長の戯言ですが、言葉なんて所詮言葉です。しかし「言霊(ことだま)」とも言いますよね。
我々が次世代にできるのは、その言葉で何かを思わせる、考えさせることなのではないかと思うのです。
大人のみなさん、色々我々も考えてみませんか?活字を読みながら。