昔、初めて指導者やらせて貰ったチームに、「一生懸命やるのかカッコ悪い。アカンかったらあっさりと引き下がるのがカッコイイ」と言った選手がいました。
どうして?と訊くと、「だってやっぱり必死になるってカッコ悪いじゃないですか…」
彼はかなり上手かったんです。高校も野球の強豪校へ行きましたが、やはり全然ベンチにも入れませんでした。いま、どうしてるのかなぁ…。
反対に、私が大学現役の頃。
当時、関関同立を軸に近大に京大が加わり、関西学生野球連盟が誕生しました。
ご存知のように京大や当時の我が関西学院はスポーツ推薦などなく、一般同様入試に合格しないと入れません。京大など、恐ろしく勉強しないと入れないですよね。メンバー表見るとずらりと進学校だらけ。
それが近大のような、甲子園常連校出身だらけのチームと対戦するのです。
でも、京都大学はたまに勝つのですね。試合前ノックなど見てると、その技量差は雲と泥(は言い過ぎかな)。
そこにあるのは、まさしく技量差をカバーして余りある、すざまじい「執念」でした。
のちに卒業してから飲む機会があり、彼らは、「京大に合格した俺たちにできないことはない」と思い込んでるというか、恐ろしいまでの自信があり、「必ず突破口があって、それを見つけてとことんやるだけ」と言ってました。
京大合格まで、ずっとそうやってきたのでしょうね。それが成功体験となって、自信となってるという。
「近大には勝てない。でも俺たちと同じ境遇の関学なら勝てる。徹底的に関学をマークする!」おいおい…。
スゴイ執念でした。球場で会っても睨んでくるし、試合するのがイヤでしたね。
彼らがあっさりしてたら、おそらくどこにも勝てぬどころか、毎試合大敗だったでしょう。
これも文武一徳。
「絶対なんとかなる、なんとかしてやる!」という「執念」。これを持って事に当たるかどうか。
いま、成績が上がる子と上がらぬ子の決定的な違いは、そこにあるのだと痛感しております。